好きだから、相手の喜ぶ顔が見たくて、その人のために何かをする。
その人が笑っててくれたら、笑顔が見れたら嬉しいから、何かしたい。

好きになったら、誰でも相手に対して何らかのリアクションをとりたがり、「好きだから」の言葉の元に正当化を図る。
それが良いとか悪いとかでなく。

自分では相手が好きだから何かをする。
喜ばせる何かをしたい。
それを「好き故の行動」と「執着からの行動」とは、どっからが境目なのだろう?

好きだから執着する。執着するくらい好き。
どっちも同じとは思えない。
自分は相手の事を好きと思ってとってる行為が、他人から見たら「執着」してるだけに思える時。
その差は?境目は何?
他人から見たら「執着」
本人からしたら「好意」
この差は?

勿論、その対象となる人との関係や立場・状況・そのときの気持ちetc.
いろんな状況・環境の中で、それは「好き」でも違うだろー「執着」だろーと思う・感じる時の差は?何が違うの?
本人は好きだからと勘違いしてるだけであっても、周囲から見て執着してるだけでも、それがわかる境目はどこ?何?


なーんて思う時があり(私とは無関係で)、ちと誰かに聞いてみたくなった。


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